ダンロップフェニックストーナメント

歴代優勝者|大会の歴史・記録

歴代優勝者列伝

「国内の試合でありながら海外の試合」と評されるほどレベルの高い戦いを繰り広げてきたダンロップフェニックス。
欧米の列強に挑み、見事優勝の偉業を成し遂げた選手を紹介します。

【歴代優勝者列伝 尾崎将司 編】

1994年から96年にかけて大会3連覇を達成したのがジャンボこと尾崎将司。

94年は悪天候のため54ホールの短期決戦。最終日の17番で池の噴水にティーショットを打ち込み大ピンチを迎えるが、これを冷静にボギーで切り抜け悲願の大会初優勝を飾る。

翌95年は最終ホールで8mのイーグルパットを決めての大逆転、ギャラリーは熱狂し地鳴りのような大歓声に包まれた。

そして96年の勝利は大会3連覇だけでなく通算100勝目というメモリアルV、しかもプロ1勝目が同じフェニックスCCで行われた71年の日本プロだったという信じられないおまけ付き、尾崎にとって宮崎は歴史を刻むとともに生涯忘れ得ぬ特別な場所となった。

【歴代優勝者列伝 タイガー・ウッズ 編】

宮崎で最初のタイガーフィーバーは2002年のこと、平日にも関わらず木曜日に7663人、金曜日に9338人を集め、平日各曜日のギャラリー数記録を更新した。

2004年大会では初日に5アンダー65をマークして首位発進を果たすと首位を譲らぬ独走で2位に8打差をつける完全優勝、264ストローク(-16)は大会最少優勝スコアとなった。

翌2005年は1ヶ月前から症状が出ていた左足首の痛みを隠してのプレー。気温の下がった最終日に痛みがピークに達し、プレーオフではうずくまる場面も見られたが4ホールの激闘の末、連覇を達成している。

2006年はプレーオフに敗れ3連覇こそ逃したが、出場した4大会全てで記憶に残る活躍を残したタイガー、本大会タイトルへの並々ならぬ執念を感じさせた。

【歴代優勝者列伝 セベ・バレステロス 編】

1大会の歴史を語る上で欠かせないプレーヤーがセベ・バレステロス。出場19回、2度の優勝を含め歴代最多のベスト3入り9回と圧倒的な強さを誇った。

77年は日本オープンとダンロップフェニックスで2週連続優勝、この時の20歳7ヶ月が大会の最年少優勝記録として残る。

81年は中嶋常幸との一騎打ち。一打リードの12番でティーショットを左の林に打ち込んでしまう。

「おそらく100回打っても二度と打てない、あそこに記念碑を建ててもらいたいね」5番アイアンで第2打(残り183m)を右の林方向に打ち出すと、そこから強烈なフックでボールは曲がりピン手前5mにオン。この一打で勝利をたぐり寄せた。

【歴代優勝者列伝 中嶋常幸 編】

1985年に日本人初のチャンピオンに輝いたのが中嶋常幸。この年は日本オープン、三井住友VISA太平洋マスターズなど5勝を挙げ絶好調、2週連続優勝をかけて宮崎の地に乗り込んできた。

最終日最終組は中嶋、セベ・バレステロス、陳志忠の3人。特にセベには81年大会で敗れた苦い思い出があり、リベンジを期してのラウンドでもあった。

そんな中嶋が魅せたのは13番。残り54mのセカンドショットを得意のサンドウェッジで振り抜くとボールは手前から3バウンドしてカップの中へ吸い込まれるスーパーイーグル。この一打で追いすがる二人にとどめを刺し勝負を決めた。

中嶋はこの年6勝を挙げて賞金王、同時に日本初の1億円プレーヤーとなった。

【歴代優勝者列伝 プラヤド・マークセン 編】

2008年大会のチャンピオンは日本ツアーとアジアンツアーで活躍するタイ出身のプラヤド・マークセン。

アジアンツアーでは数々の優勝を誇るマークセンもこれまで日本では未勝利、しかしこの年は三菱ダイヤモンドカップで待望の初優勝を飾ると、続くミズノオープンで2試合連続優勝と本来の実力を開花させていた。

ダンロップフェニックスには、先々週に中国、先週がシンガポールと転戦する強行日程での出場となったが、初日から好位置をキープし、3日目に通算8アンダーで首位に立つ。

最終日は石川遼の猛追を受けたが逃げ切りに成功、日本人を除くアジア勢では1983年の陳志明以来25年ぶりの勝利を飾った。

【歴代優勝者列伝 武藤俊憲 編】

日本人6人目のチャンピオンとなったのが2011年の武藤俊憲。この年は悪天候で3日目が中止となり54ホールに競技が短縮、最終日は平均9.3m/sという強風が吹き上位グループが思うようにスコアを伸ばせない中、2組前でまわり8アンダー63という猛チャージをかけてのタイトル獲得だった。

一人だけ別次元のゴルフを展開できた理由を「水曜日に練習場でたまたま青木功さんにお会いして、1時間ほど見てもらって忘れていた長所を思い出させていただいた」と明かす。

ドライバーで悩んでいたが、これをきっかけに持ち前の飛んで曲がらないドライバーショットが復活、ツアー4勝目をたぐり寄せた。

【歴代優勝者列伝 アーニー・エルス 編】

大会にはメジャーチャンピオンなど数多くのスター選手が出場しているが、アーニー・エルスのように本大会での優勝をきっかけにして世界の頂点に上り詰めた選手もいる。

プロ転向当初のエルスは南アフリカツアーを舞台に戦っていたが全英オープンでの活躍などで注目され1993年大会に出場。3日目に65をマークして首位に抜け出すと最終日もスコアを伸ばして初出場初優勝、2位のフレッド・カプルスらに4打差をつける圧勝だった。

「ダンロップフェニックスで世界のスター選手たちに勝てたことが大きな自信になった」

24歳のエルスは翌年の全米オープンでメジャー初制覇、スターへの階段を駆け上がった。

【歴代優勝者列伝 片山晋呉 編】

日本人3人目のチャンピオンは2000年の片山晋呉。この年の片山は2勝を挙げるなど好調なシーズンを送っていたが大会直前の賞金ランキングは5位、トップの谷口徹とは約6500万円の差があり、賞金王はほぼ絶望的と見られていた。

しかし「過去の優勝者、大会の歴史…それらのことを考えると今回の優勝は非常に重みがある」と話すダンロップフェニックスに勝ったことで奇跡の扉が開く。

翌週のカシオは29位タイに終わるが、日本シリーズ、最終戦のファンケルオープンと、フェニックスを含めた4試合で3勝をあげて大逆転、自身初の賞金王に輝いた。谷口との差はわずか128万円余、年間獲得賞金額は1億7711万6489円だった。

【歴代優勝者列伝 横尾要 編】

日本人4人目のチャンピオンは横尾要。この2002年は世界ランク1位のT・ウッズが初出場したのを始め、D・デュバル、S・ガルシア…世界最強メンバーの大量参戦に注目が集まっていた。

その中で米ツアーを転戦し前週から日本ツアーに帰国参戦している横尾が初日2位タイの好発進。2日目に6アンダー65をマークして一気に首位に抜け出すと、そのまま逃げ切りに成功した。

「この2年苦しんだ甲斐がありました、これでやっと少し米ツアーで揉まれてきた結果が出たようで…」成長した姿を見せると同時に、米ツアーのトップ選手たちに“ヨコオ”の名前を刻みつけた勝利でもあった。

【歴代優勝者列伝 池田勇太 編】

2010年大会に勝ち、日本人5人目のチャンピオンとなったのが池田勇太。中嶋常幸が10年、尾崎将司が21年かかったタイトルを出場わずか2回目で獲得、日本人選手の大会最速優勝記録となっている。

池田にとってこのタイトルは、数ある試合の中の一つではない。子供の頃からの憧れである尾崎将司が3連覇で通算100勝を達成した特別な試合。その瞬間をテレビで見ていた “どうしても獲りたい” タイトルだった。

「憧れの方に、ちょっとでも近づけたのではないでしょうか」喜びをかみしめた優勝スピーチ。この優勝でシーズン4勝目、2年連続の年間4勝はAONに続く史上4人目の快挙なった。

【歴代優勝者列伝 パドレイグ・ハリントン 編】

タイガーの3連覇を阻止したのが2006年のパドレイグ・ハリントン。

9アンダーで並んだプレーオフの2ホール目(18番・パー5)、ティーショットは大きく曲がり左の林の中へ。前方には2本の木が立ちふさがっていたが絡み合う幹と幹の間にわずか50cmの空間を見つける。

「可能性があるなら勇気を出そう。相手はあのタイガー、出来ることは何でもやってみよう」

躊躇せず振り抜いたユーティリティでの勇気の一打は、大会史に刻まれた名シーン。脱出に成功し96yの第3打を50cmに付けてバーディ、世界ナンバーワンを下した瞬間だった。

この翌年、ハリントンは全英オープンで初のメジャータイトルを獲得している。

【歴代優勝者列伝 イアン・ポールター 編】

2007年チャンピオンは自身の名を冠したゴルフウエアブランドを持つイアン・ポールター。石川遼が大ファンと公言し注目を浴びる中、初日から一度も首位を譲らぬ完全優勝でタイトルを獲得している。

驚きのエピソードは連覇を目指した2008年のこと。2週前のHSBCチャンピンズの会場で愛用のドライバーが盗難にあい翌週は新しいクラブが間に合わず欠場、失意の会場入りとなってしまった。

しかしクラブハウスに入った瞬間、ポールターが目を輝かせる。目の前のショーケースの中にはサインをして大会に寄贈した前年優勝時のドライバーが。一時的に返してもらいフェースのサインも消して準備万端、このクラブで試合を戦った。