『ダンロップフェニックストーナメント』(主催:住友ゴム工業<代表取締役社長:池田育嗣、本社:神戸市中央区>、フェニックスリゾート<代表取締役社長:松永裕文、本社:宮崎県宮崎市>、毎日放送<代表取締役社長:三村景一、本社:大阪市北区>)は、11月11日(日)~18日(日)をトーナメントウィークとして第45回記念大会を開催いたします。大会は宮崎県のフェニックスカントリークラブを舞台に開催し、賞金総額2億円(優勝賞金:4,000万円)をかけて84名のトッププレーヤーが覇を競います。
今年の出場選手が決定致しましたのでお知らせします。まず初めに、昨年大会を制し2016年、2017年と大会連覇に成功したブルックス・ケプカ(28歳)がディフェンディングチャンピオンとして尾崎将司以来22年ぶりとなる大会史上2人目の3連覇に挑みます(8月31日付リリース)。ケプカは2016年の大会優勝後に全米オープンに優勝(2017年)したほか、今年は全米オープンを連覇(29年ぶり)、さらに全米プロゴルフ選手権で優勝と2000年のタイガー・ウッズ以来の同一年全米タイトル制覇を達成しました。メジャー2勝を挙げ、ツアープレーヤー選出の、2017-18シーズンのUSPGAツアーの『プレーヤー・オブ・ザ・イヤー』にも選ばれた、まさに向かうところ敵なしの最強プレーヤーです。
また、今シーズンは怪我に泣かされ終盤になってようやく復調気配を見せた2014年覇者の松山英樹(26歳)が2年連続7回目の出場を決めました。5年連続でフェデックスランク上位30人のみが出場できるプレーオフシリーズ最終戦「ツアー選手権」に出場するなど、実力は折り紙つきです。ケプカの3連覇を止める1番手と言えるでしょう。
PGAツアーからは2015-16シーズンの新人王エミリアノ・グリジョ(26歳)が2度目の参戦、バラクーダ選手権でツアー初優勝を飾ったアンドルー・パットナム(29歳)の初出場も決まりました。またカナディアンツアーからは賞金ランク2位のジョージ・カニンガム(23歳)、アジアンツアーからは賞金ランキング4位につけるスコット・ビンセント(26歳)と各地から有力選手が集まりました。
世界のゴルフ界は、20代中頃の選手たちが黄金世代として活躍しています。大会では“世界のゴルフ界の今”を宮崎の地でお見せしたいと考えています。
日本勢では、現在賞金ランキングトップを走る今平周吾、日本オープンを制し、ツアー初優勝をメジャーで飾った同ランク2位の稲森佑貴、自身2度目の賞金王戴冠を目指す3位の池田勇太(2010年優勝)の他、6位の時松隆光、7位の星野陸也、9位の秋吉翔太といった海外メジャートーナメントを経験して一回り大きく成長した若手選手達が参戦を予定しています。今のツアーを牽引している若手選手達による熾烈な賞金王レースも大きな注目点の一つといえるでしょう。
(※賞金ランキングは、10月16日時点のもの)
この他の出場選手に関しては、11月のリリースの中で改めてお伝えさせていただきます。なおテレビ放送については、MBS発JNN系24局ネットにて11月17日(土)、14:00~15:54、11月18日(日)15:00~16:54の日程で全国放送を予定しています。
多様な観戦チケットを販売中です。皆さまの観戦スタイルに合わせてご購入ください。
観戦チケット詳細はこちら2016年、2017年と大会を連覇したブルックス・ケプカが、1994年、1995年、1996年と大会史上唯一の3連覇を達成している尾崎将司の記録に挑みます。この大記録には2004年、2005年と連覇に成功したタイガー・ウッズが2006年に挑戦しましたが、あと一歩のところで叶いませんでした(パドレイグ・ハリントンにプレーオフ負け)。
【1994年大会】
初日が豪雨のための中断もありサスペンデッド。2日目に第1ラウンドの残りを消化したが第2ラウンドは雨のために中止。土曜日に改めて第2ラウンドを行い、日曜日に決勝ラウンド18ホールと大会史上初めての短縮競技となった。10アンダーで首位のトム・ワトソンを追って2打差の4位タイからスタート。8バーディ、1ボギーの65で回り通算15アンダーで大会初優勝を飾った。17番ではティーショットをダフって、池の噴水に入れるピンチも、打ち直しの3打目を冷静にピン左4mにつけボギーで切り抜け18番のバーディにつなげた。
【1995年大会】
3日目を終えてトップのピーター・シニアが通算11アンダー、1打差にグラハム・マーシュ、連覇を目指す尾崎はラリー・ネルソンと並んで8アンダー3位タイからのスタート。上位勢がスコアを伸ばせない中、尾崎将司は18番ホールで勝負をかける。4番アイアンで放たれた第2打は右サイドの林の上空に消えたかに見えたが、そこからフックがかかり見事に2オンに成功した。8mの上りのパットを決めて逆転イーグル、通算11アンダーで大会連覇を達成した。後に尾崎はこの時のことを「ジャイアンツの逆転満塁ホームランのような、そのくらい地鳴りのような響きだった」とギャラリーの大歓声を振り返っている。
【1996年大会】
尾崎は3日目を終えて通算9アンダー、2位のワトソンと尾崎直道に3打差をつけていた。最終日は気温も低く雨模様の天気だった。選手達は軒並みスコアを崩し、それは尾崎も同様だった。7番でバーディを奪うが、インに入って10番、13番、17番と3つのボギーを叩き、2オーバー73。しかしワトソン、直道もともに2オーバー73で差は縮まらず通算7アンダーで見事優勝、逃げ切りで大会3連覇を達成。尾崎はこの勝利で通算100勝も達成。プロ1勝目もフェニックスカントリークラブで行われた日本プロゴルフ選手権で飾っており、縁のある地での記念すべき勝利となった。
●最少優勝スコア 263ストローク(2016年)
(それまでは2004年にタイガー・ウッズが記録した264ストローク)
●最多アンダーパー優勝 21アンダー(2016年)
(それまでは2000年に片山晋呉が記録した19アンダー)
●最多ストローク差優勝 9打差(2017年)
(それまでは2004年にタイガー・ウッズが記録した8打差)
尾崎将司の例を見ても分かるように、3連覇の達成には“強運”も必要だと言えます。全米オープンでの29年ぶりの連覇や全米プロゴルフ選手権の100回大会での優勝を自身の100試合目で飾るといった奇跡的な運がケプカには備わっているように感じられます。また2つのタイガーが樹立した記録を更新しており、“ポストタイガー”という意味からも強運を感じさせます。
1974年、日本のゴルフ界にエポックメイキングな出来事が起きた。賞金総額5000万円、優勝賞金1000万円、当時の日本では破格の規模のゴルフトーナメント「ダンロップフェニックストーナメント」が宮崎に誕生したのだ。しかも、第1回大会にはゴルフ界の帝王ジャック・ニクラウスが自ら数十人の米ツアー選手を引き連れて参戦。ゴルフファンはもちろん熱狂、数多くのマスコミも殺到した。世界の舞台で活躍する選手のプレーを生で身近に見られる機会、今までには考えられなかったこと、ありえなかったことが目の前で起きたのだ。
第1回大会はこの年8勝を挙げて米ツアーの賞金王に輝いた26歳のジョニー・ミラーが勢いそのままに2位に7打差をつける圧勝だった。この時の出場人数は日本選手が64名、海外選手が32名と日本選手が2倍の人数だったが、獲得賞金では賞金総額の約75%を海外選手が獲得、圧倒的な実力差を見せつけた。まさに世界と日本のゴルフのレベルの違い、それがこの結果に表れたと言っていいだろう。
1977年の第4回大会は若き日のセベ・バレステロスが優勝。この時のセベは日本オープン、ダンロップフェニックスと2週連続優勝、20歳7ヶ月18日での勝利は今も大会の最年少優勝記録として残っている。セベは1981年大会でも優勝、以来大会の中心選手として活躍を見せた。また新帝王トム・ワトソンも忘れてはいけない選手だ。1980年大会、そして17年後の1997年大会と2勝。特に「私のワインはまだ酸っぱくなっていなかった」の名言は有名だ。17年間は大会での最多ブランク優勝記録。また彼は最多のトップ10入り12回という偉大な記録も残している。
日本人チャンピオンの誕生は1985年の中嶋常幸が最初だ。第1回大会から数えて12年の月日が経過していた。「来る年も来る年もタイトルを外人勢が持って行く。俺は何をしているのか、悔しい。でもいつかは…」大会前にそう話していた中嶋が13番ホールのセカンドショットを3バウンドでカップインさせる奇跡のイーグルを奪い、最終組で回るセベを突き放して優勝を決めたのだ。この年中嶋は年間獲得賞金で初の1億円突破を果たしている。しかしこの後は再び外国人勢の天下が続き日本人2人目のチャンピオン誕生はジャンボ尾崎が勝利する1994年まで待たなければならなかった。
1994年大会は1日目が豪雨のための中断もありサスペンデッド、2日目に1ラウンドの残りを消化したが、第2ラウンドは雨のために中止、土曜日に改めて第2ラウンドを行い、日曜日に決勝ラウンド18ホールと初めて54ホールの短縮競技となった。尾崎は17番ホールでティーショットをダフり池の噴水に入れてしまうというアクシデントに見舞われたが、ボギーで切り抜け見事大会初優勝。ジャンボと親交のあった故・佐藤棟良大会会長は「私が見ていると尾崎さんはいつもスコアが悪いので、この日は木の陰に隠れてこっそりと応援していたんです」と話している。その後1995年には最終18番ホールでの逆転イーグル、1996年大会では通算100勝目という区切りの勝利で大会レコードとして残る3連覇を達成した。
この大会で勝つと自然と世界への舞台が開ける…いつしかそういう伝説のようなものが形作られてきた。70年代、80年代は世界のビッグネームと言われるスタープレーヤーが中心だったが、いつしかまだ無名な次世代のスター候補選手が混じり出すようになる。その最たる例が1993年大会に初出場したアーニー・エルスだろう。当時24歳だったエルスは母国のツアー以外では優勝歴がまだなく、有望だが無名選手という扱いだった。それが日本ツアーでは敵なしだったジャンボ尾崎らに4打差をつけて
初出場初優勝。翌年の全米オープンに勝ちスターダムを一気に駆け上がっていった。2000年大会で日本人3人目のチャンピオンに輝いた片山晋呉はこの試合を含めてツアー終盤の4試合中3試合で優勝し、奇跡の逆転賞金王に輝いた。翌年の全米プロゴルフ選手権では優勝にこそ手が届かなかったが4位に入る大健闘でゴルフファンを大いに沸かせている。
タイガー・ウッズが初参戦したのは2002年のこと。勇姿を一目見ようとフェニックスカントリークラブの駐車場には数多くの本州ナンバーの車も集まった。2度目の参戦となった2004年はマッチプレーの勝利だけにとどまり苦しいシーズンを送っていたが、2位に8打差をつける圧勝でシーズンを締めくくった。そして翌2005年はマスターズ、全英オープンを含む6勝を挙げるなど、“タイガー伝説第2章が宮崎から始まった”と大いに話題となり、2005年に大会連覇。2006年にはジャンボの持つ大会3連覇の大記録を目指したが、プレーオフまでもつれ込んだゲームは、前方50cmの隙間を通すというパドレイグ・ハリントンの“勇気のショット”の前についえてしまった。「可能性があるなら勇気を出してみよう、なんせ相手はあのタイガーなんだから。出来ることは何でもやってみなくちゃという気持ちでした」タイガーの大会3連覇をプレーオフの末に破ったハリントンは欧州ツアーの賞金王ながら、まだまだメジャーな選手とは言い難かった。しかし大会翌年の2007年全英オープンでメジャー初勝利を挙げると、2008年には全英オープン2連覇、全米プロゴルフ選手権優勝とこちらも頂点に上り詰めている。これもタイガーを破ったプレーオフ、ダンロップフェニックスでの勝利が転機だったと言っても過言ではないだろう。
2014年大会の覇者・松山英樹も伝説の中に入ってくる選手だろう。まだメジャーには手が届かないが、日本人最多の米ツアー5勝を挙げ、30人しか出場することの出来ないプレーオフシリーズの最終戦に今年で5年連続駒を進めている。世界ランク上位選手でも毎年最終戦に出場し続けることは難しく、今年、松山のほかに5年連続で最終戦に出場したのは、ジェイソン・デイ(6年連続)と、パトリック・リード(5年連続)の2人だけ。昨季まで5年続いていたジョーダン・スピースは、最終戦進出を逃し、2010年から8季連続で最終戦に出場したマット・クーチャーは第2戦で脱落するなど、いかに最終戦まで駒を進めるのが難しいのかが分かる。なお、ダスティン・ジョンソンは2009年から10年連続で最終戦の出場権を確保している。ただ、14年8月から15年2月までツアーを離脱しており、14年のプレーオフシリーズには出場していない。
そして2016年、2017年と大会を連覇したブルックス・ケプカは、2017年、2018年と全米オープンを連覇、さらには全米プロゴルフ選手権も制するなど、メジャー年間2勝を達成し、世界ランキングは一時3位まで上昇し、2017-18シーズンのUSPGAツアー『プレーヤー・オブ・ザ・イヤー』に選出された。
欧州ツアーでの優勝を契機に米ツアーに戻り、日本ツアーのダンロップフェニックスでの勝利を糧にメジャーチャンピオンになったケプカ、まさにダンロップフェニックスから世界へ…その伝説を体現している選手だと言えるだろう。今年の大会では、タイガーもなしえなかったジャンボ尾崎以来となる大会史上2人目の3連覇に挑む。果たしてケプカはどのようなプレーを見せてくれるのだろうか。注目したい今年の45回記念大会だ。
大会(年度) | 優勝者 |
---|---|
第1回(1974年) | ジョニー・ミラー |
第2回(1975年) | ヒューバート・グリーン |
第3回(1976年) | グラハム・マーシュ |
第4回(1977年) | セベ・バレステロス |
第5回(1978年) | アンディ・ビーン |
第6回(1979年) | ボビー・ワドキンス |
第7回(1980年) | トム・ワトソン |
第8回(1981年) | セベ・バレステロス(2勝目) |
第9回(1982年) | カルビン・ピート |
第10回(1983年) | 陳 志明★ |
第11回(1984年) | スコット・シンプソン★ |
第12回(1985年) | 中嶋 常幸 |
第13回(1986年) | ボビー・ワドキンス(2勝目) |
第14回(1987年) | クレイグ・スタドラー |
第15回(1988年) | ケン・グリーン |
第16回(1989年) | ラリー・マイズ |
第17回(1990年) | ラリー・マイズ(大会連覇) |
第18回(1991年) | ラリー・ネルソン★ |
第19回(1992年) | デービッド・フロスト★ |
第20回(1993年) | アーニー・エルス |
第21回(1994年) | 尾崎 将司 |
第22回(1995年) | 尾崎 将司(大会連覇) |
第23回(1996年) | 尾崎 将司(大会3連覇) |
第24回(1997年) | トム・ワトソン(2勝目) |
第25回(1998年) | リー・ウエストウッド |
第26回(1999年) | トーマス・ビヨン★ |
第27回(2000年) | 片山 晋呉 |
第28回(2001年) | デービッド・デュバル★ |
第29回(2002年) | 横尾 要 |
第30回(2003年) | トーマス・ビヨン(2勝目) |
第31回(2004年) | タイガー・ウッズ |
第32回(2005年) | タイガー・ウッズ(大会連覇)★ |
第33回(2006年) | パドレイグ・ハリントン★ |
第34回(2007年) | イアン・ポールター |
第35回(2008年) | プラヤド・マークセン |
第36回(2009年) | エドアルド・モリナリ★ |
第37回(2010年) | 池田 勇太 |
第38回(2011年) | 武藤 俊憲 |
第39回(2012年) | ルーク・ドナルド |
第40回(2013年) | ルーク・ドナルド(大会連覇) |
第41回(2014年) | 松山 英樹★ |
第42回(2015年) | 宮里 優作 |
第43回(2016年) | ブルックス・ケプカ |
第44回(2017年) | ブルックス・ケプカ(大会連覇) |