大会の歴史・記録

ダンロップフェニックストーナメントの成り立ちと歴史

「日本に世界基準のトーナメントを作ろう」「世界のトッププレーヤーを生で見ることの出来る試合を作ろう」との考えのもと、帝王ジャック・ニクラウスら米ツアーの主力選手がこぞって参戦する舞台を整えて、1974年にダンロップフェニックスは産声を上げました。 大会の初代チャンピオンはジョニー・ミラー。あまりの強さに“ミラクル”ジョニーと恐れられていた選手で、同年は年間8勝をあげて米ツアーの賞金王に輝いた直後の来日でした。1977年には、まだ20歳だった若き日のセベ・バレステロスが、日本オープンとダンロップフェニックスを連覇して日本中を驚かせました。その後も新帝王トム・ワトソン、クレイグ・スタドラー、ラリー・マイズらメジャーチャンピオン達が次々とその名前をトロフィーに刻みました。90年代に入ってからはアーニー・エルスが、そして2004年にはついに世界最強のタイガー・ウッズがその名前を刻み、翌2005年と連覇を果たしています。

日本勢にとっては、“国内の試合でありながら海外の試合”と言われるほどレベルが高く、“優勝”の二文字が遠い試合でもありました。 最初にこの壁を破ったのが1985年の中嶋常幸で、1994年から1996年にかけては尾崎将司が3連覇を達成、2000年には片山晋呉がこのタイトルを獲得した勢いをかって奇跡の逆転賞金王に輝きました。 そして2002年にはタイガー・ウッズを押さえて横尾要が優勝、2005年大会では負けはしたもののタイガーとプレーオフを争うなど、大会史に刻まれるプレーを見せています。

また“優勝”にこそ届いていませんが、グレッグ・ノーマン、フィル・ミケルソン、ビジェイ・シン、ジョン・デーリー、ニック・ファルド、フレッド・カプルス、デービス・ラブⅢ、セルヒオ・ガルシアら世界中のスタープレーヤー達がこぞって参戦してきたことも本大会の大きな特徴です。チャンピオンを含めこれだけの顔ぶれが参戦してきた試合は国内唯一であり、賞金とともに国内No.1の存在です。