「俺が目標にするプロゴルファーはたった一人、ジャック・ニクラウス」。1947年のマスターズで初めて帝王ニクラウスを見て以来、尾崎将司の頭の中にはつねにニクラウスがいた。前年テレビマッチで一緒にラウンドしているが、1974年の第1回ダンロップフェニックストーナメントの3日目が試合での初のラウンドだった。ひと目ニクラウスを見ようと1番ホールの周りにはティーグラウンドからグリーンまでギャラリーが取り囲んでいた。注目のニクラウスのティーショットは綺麗にフェアウェイ中央を捉えた。続いて内田繁。飛距離の差は歴然でニクラウスから50ヤード後ろだった。そして最後が尾崎将司。尾崎の豪打に期待が集まったが、やはり力が入ってしまった。結果ボールは左の木の間に入り、アプローチもグリーンオーバー、尾崎の1番ホールはボギースタートとなってしまった。ニクラウスはこのホールを手堅くパーでまとめて71、尾崎は78のラウンド、これが二人の最初の対戦だった。「せっかくニクラウスと回れるチャンスだったのに…」この日尾崎の体調は最悪で、前夜原因不明の腹痛に悩まされていたと夫人は語っている。
そしてもうひとつ、ラウンド中の面白い話を。13番のティーショットでジャンボがニクラウスに40ヤードの差をつけた。ニクラウスが使ったのはラージボールだった。「同じボールならあれほど差が出るはずがない。一度確かめたくてラージボールを使ったんだ」飽くなき探究心を持つニクラウスならではの言葉だ。次の14番ティーグラウンド上でニクラウスがジャンボに声をかける。「ジャンボ・ボールを貸してくれないか」14番ではともに280ヤード、次の15番ではニクラウスが5ヤードアウトドライブに成功した。「ジャンボ・ボールは今までのスモールボールとは製品が違う。私や尾崎のように力のある選手に向く」とホールアウトまで仲良く同じボールでプレーを続けた。 ラージボールはUSGAが規定する現在と同じ規格の42.67mm(1.68インチ以上)に対して、スモールボールはR&Aが規定した41.14mm(1.62インチ)以上という統括団体の違いによった違いで、ラージボールはグリーンの転がりに優れ、スモールボールは飛距離性能に優れると言われていた。当時パチンコ玉とピンポン球くらいの違いがあると言われていたが、両者はその後ラージボールに統一されることになる。統一前の出来事である。